CONCEPT & PROFILE コンセプト・自己紹介 | Flower Palette(フラワーパレット)

CONCEPT & PROFILE コンセプト・自己紹介

 

FlowerPalette

造花との出会い

First Encounter with Artificial Flowers

生花店を営んでいた私が、数年前に初めて出会った「造花」
それは、生花と見間違えるほど美しい、
一昔前の造花とは全く違った印象でした。
 
近寄って手に触れてみると、
造花だとわかりびっくりした程のリアルさだったからです。
 
お水が要らない、生花のような美しい色合い、花姿形、耐久性が抜群で数年経過しても
綺麗なままのその造花は、現在、高品質造花、
「アーティフィシャルフラワー」と呼ばれ人気が高く、
多方面の職種から求められる装飾フラワーとして成長を遂げています。
 
アーティフィシャルフラワーの魅力をもっと知ってもらいたい、広めていきたい
そんな気持ちで起業致しました。
 
若い世代の方は、結婚式のブーケや装飾もアーティフィシャルフラワーをご希望される事例が増えてきました。
ずっと思い出に残るお花、ずっと飾っておきたいお花、
インテリアフラワーとして高い評価を得ています。
 
ご年配の方には、花瓶の水を替える手間や心配がない為、軽くて飾りやすい、手がかからないのにずっと綺麗なままで飾っていられる。とお喜びの声をよく聞きます。
 
御仏前のお供え花も人気です。
 
法人様や店舗様へは、装花での御祝花、お悔やみ花をはじめ、
店舗、オフィスのディスプレイ装飾・装花デザインを
ご提案させて頂き、施工・設置を行なっております。
 
フラワーパレットでは、企業、マンションのエントランスフラワーをはじめ、
カフェや飲食店、などに飾るディスプレイフラワー、
アパレルの展示会・イベント花も承っております。
 
季節を感じ、心地良いと感じて頂く空間をご提案させて頂いております。
 
空間の癒しに「花」は必須アイテム!!
装花なら、手が掛からないのでスタッフの手を煩わすこともありません。
 
お花を選ぶ時間や手間も省け、コスト削減にもつながります。

ぜひ法人様向けページも併せてご覧ください。
https://flowerpalette.website/corporations/
 
プロの空間装花デザイナーが担当、心地良い空間づくりのお手伝いをさせて頂きます。
お気軽にお問い合わせくださいませ。
 

 
初めまして!
当HPにお越しいただきましてありがとうございます。
兵庫県西宮市出身、在住のフラワーパレット店主、中村美知子です。

現在は無店舗経営で、自宅作業にて

【アーティフィシャルフラワーの魅力をもっと広めたい】

という思いを込めて、高品質造花、アーテフィシャルフラワーを使用し、花束・ブーケ・フラワーアレンジメント・ディスプレイ用品をデザイン、作製し、オンラインショップ・BASESHOPにて販売しております。
又、法人様向けには舞台装花・エントランスフラワー・店舗ディスプレイ装花などをフィットネスジム・飲食店・クリニック・サロン様にご提案し、 施工・設置を行なっております。
生花部門では、生花仕入れ、寺院への生け込み作業もしております。

お客様や仕事仲間から、

・どこでお花の勉強をしたの?
・どうして生花店をやめたの?
・なぜ起業したの?

と、質問されることもあり、初めてこちらのサイトをご覧頂いた方に知って頂くのはもちろん、現在、このような仕事をするまでに至る私のプロフィールと起業、空間装花デザイナーへの道のりをまとめることにしました。

最後までお付き合い頂けましたら幸いです。

目次

 

1. 誕生から高校時代まで
2. 高校卒業から念願の生花店就職
3. 一度お花の仕事を離れサラリーマンへ
4. 夫が会社を辞めて!絞り出したアイデア?
5. 夫婦で成果展開業へ
6. 成果店を閉店後、再びサラリーマンへ
7. アーティフィシャルフラワーとの出会い
8. 企業・空間装花デザイナーへの道

 

1.誕生から高校時代まで

 
兵庫県西宮市内で次女として誕生しました。3歳上の姉、両親と4人家族です。当時は武庫川の側で住んでおり、ゴムとびやかくれんぼなど武庫川の芝生が格好の遊び場で、姉と走り回っていたやんちゃなで、家族の中ではムードメーカー、笑わせたりするのが得意な明るい性格でした。
両親が植木や花鉢が好きで所狭しと育てていたこともあり、幼少期からお花の名前を覚えたり花に触れる機会が多くありました。
小学校3年生から毎年、冬休みになると叔母さんのご両親が営むお花屋さんに、お手伝いに連れて行ってくれた事、姉とお正月用のお花や、しめ縄などをお客様に売る手伝いをして、とても楽しい体験をさせてもらいました。
その楽しかった記憶が、将来、お花屋さんになりたい!という夢に大きく影響しているような気がします。

 
その後、市立の中学校・県立の高校と進み、周りが皆、大学や短大受験で猛勉強している時にふと、高校を卒業したら花屋さんで働きたい!という気持ちが大きく膨らみ、勉強よりも早く働きたい! と私の時代では少数だった就職組を選びました。
「あんたは小さい頃から、よほど花屋さんの手伝いが楽しかったのか、花屋さんで働くとよく言っていたから自分で選んだ道ならいいんじゃない?」と賛成してくれました。先生と母親と共に働かせてもらえるお花屋さんを何件も回り、あるお花屋さんの店主から、お花の勉強をしたいんだったら○○の花屋さんを訪ねてみたら? と教えてもらいました。
その楽しかった記憶が、将来、お花屋さんになりたい!という夢に大きく影響しているような気がします。

 
その後、市立の中学校・県立の高校と進み、周りが皆、大学や短大受験で猛勉強している時にふと、高校を卒業したら花屋さんで働きたい!という気持ちが大きく膨らみ、勉強よりも早く働きたい! と私の時代では少数だった就職組を選びました。
「あんたは小さい頃から、よほど花屋さんの手伝いが楽しかったのか、花屋さんで働くとよく言っていたから自分で選んだ道ならいいんじゃない?」と賛成してくれました。先生と母親と共に働かせてもらえるお花屋さんを何件も回り、あるお花屋さんの店主から、お花の勉強をしたいんだったら○○の花屋さんを訪ねてみたら? と教えてもらいました

 

2.高校卒業から念願の生花店就職

 
春休みから、朝早く大阪の生花店に通う日々がスタートしました。お花の扱い、バラの棘とり、水揚げ、接客マナー、あらゆる事を学べる環境は素晴らしかったのですが、高校上がりでいきなり大人の厳しい世界を知って緊張と、やっていけるだろうか、という不安もありました。
研修生を取るのは農業学校出身者のみで、私のような素人を取ることは稀だったとの話を耳にしました。同期で入った他の新入社員とはスタート地点から差がついていて、皆んな以上に私は頑張って学ばないと、、 と張り切りすぎていたような気がします。
研修後は営業時間後にフラワーアレンジメントの講習、生け花のレッスン、ラッピング講習と毎晩のようにたくさんの事を学ばせてもらえる場はとても有難く、夜遅く帰宅しても楽しい毎日でした。
それでも、新しい事を必死で覚えていく事や、同期生と差がつかないよう、ついていくのに必死で、帰宅したらクタクタになっていました。
大きな生花店だった事もあり、結婚式場の仕事、道路の植え込み作業、 胡蝶蘭の育成に関わる仕事など、様々な仕事に携わり、徐々に一人で任される事も増えてきました。
その中で印象に残ったのは、結婚式場のフラワーディスプレイ。 テーブル花のアレンジメントはもちろん、センターテーブル、式場全体がお花で溢れる光景はとても美しく、 改めてお花の仕事に携われた嬉しさと
お花がもつパワー、役割って大きいな、と感じました。

 

3.一度お花の仕事を離れサラリーマンへ

 
それから5年程経ったある日、帰宅時に真っ直ぐ歩けない事に気づき、 あれ? 歩道の白線の上を歩いているのに何故か体が傾いて、意識しても足が白線から外れてしまいます。母親に伝えると、「病院に行った方がいいんじゃない? 疲れが溜まっているんじゃない?」と。
平日の休暇日まで待って病院に行き、先生に症状を伝え、沢山の検査を受けた結果、早急に手術が必要だ、といきなり言われ・・。
病名は「腎盂腎炎」との事で、左の腎臓肥大が真っ直ぐに歩けない原因との事でした。幼稚園の頃、度々40度の熱が出てうなされ、近所の病院で 「膀胱炎」からくる高熱と言われていました。検査の結果、生まれつき、 人より尿道が細く傾きが悪かった為、腎臓に尿が逆流して肥大していた、 と説明を受けました。

先生からは、よく気がついた、若い時期に手術できて良かったね、と言われました。普通は気づくのが遅く、人口透析しなければいけないところだったとも言われました。
手術後、入院後もしばらくは安静にと言われ、術後の傷が痛んだ事もあり重い荷物を持ったりは、しばらくしないよう忠告されました。
そして、まだ若かった事もあったのですが、休職時に体力・気力共に失ってしまい、お花の仕事に復帰することを断念してしまったのです。
好きな花仕事ができ、やる気に満ち溢れた毎日から一転、どうして辞めてしまったのか自分を責める毎日でした。
今となっては、若気の至り、としか言いようがありません。

 

 

少しづつ体力、気力が戻ってきた時に、色々考えたけれど、 やっぱりお花の仕事がしたい、と近郊の花屋巡りをし、雰囲気が良く、 とてもおしゃれなアレンジメントが店頭に飾っていたお花屋さんに入り、 自分用に花束を作って貰いました。
その花束がとても可愛くラッピングも素敵だったので、思わず、「社員を募集していませんか? 働かせて頂きたいのですが、、」とお聞きしたところ、丁度、募集をするところだったらしく、私の経歴を伝えると是非来てくださいと、その場で面接をしてくれました。
そのお店の店長が素晴らしいセンスで、営業時間後も熱心にブーケ、花束、
アレンジメントの技術を教えてくれた事、休日にアレンジメント教室に通わせて頂いた事で、フラワーデザイナーの資格取得に繋がりました。

 

 

そんな忙しい毎日を送っていたある日、お店の経営者から 「主人が早くに亡くなった後、店長と共にお店を切り盛りしてきたけれど、もう歳だし、お店を閉める事に決めたのよ。 店長は自宅の一角を生花店にして、そこで花屋を開店させる事になったから、、。懸命に働いてくれたのにごめんなさいね。」と言われ、その生花店を去る事になりました。

その後の私は、一度違った世界を見てみたいとサラリーマンを経験、時代はバブル期、仕事帰りに同僚や上司と飲みに行ったり、先輩に文書作成を指導頂いたりと花屋時代には味わったことがない世界を見れました。 そして、27歳で結婚しました。

4. 少し夫が会社を辞め! 絞り出したアイデア?

 
結婚して間もなくして、夫が会社を辞めてしまい、
「何か商売がしたい」 「お花の技術があるならお花屋さん、やってみたら?」・・と突拍子もない事を言い出したので仰天しました。
「そんな簡単に言って! お花は生物だし大変だよ!」
と言っていたけれど、私の給料だけでは頑張って購入したマンション (団地みたいな)のローンもあるし、と切羽詰まっていたのです。
そこで突然閃いたのが、お店を開くお金はないから、ガレージみたいな場所を借りて、車でお花を配達するのはどうかな?と。
今ではお花の定期便はたくさんありますが、その当時では珍しかった、
お花の定期便の走りのような、

500 1,000 1,500円の花束のコース設定、週に1回、又は週に2回、 西宮市内に配達する、というモデルを作ったのでした。
さて、お花の仕入れはどうしようと、現在は無いが、当時、西宮の今津に生花の卸市場があったので早速尋ね、仕入れをさせて欲しいとお願いしに行ったところ、仕入れをした事がないのなら、指で卸値を決めて競り落とすのは、素人では難しいだろうから、裏方の仕事をパートで雇ってあげる ○ から、慣れてからにしたら? とアドバイスを頂いた^^; 次の日から早朝に各方面から入荷するお花の箱の仕分け、各セリ台に台車で運んだり、競りが始まると、競り落とすお客さん(生花店の人々)の手の動きを良く見てどの生花店が最終的に競り落とすか見極める事などを教わり、どやされながらも必死で覚えていきました。仕入れは生花店にとって真剣勝負、時には揉め事が起こる事もありました。

その後、裏方のパートを辞め、夫と共に仕入れ日には早朝から卸市場で使いたいお花を競り落とす、事ができるまでになり、姉に手作りして貰ったチラシを新聞社に入れて貰ったところ、借りたガレージに置いた1台の電話が鳴り響き、その後もお花の配達を申し込む電話が鳴り止まず、嬉しい悲鳴でした。
市場から仕入れたお花をガレージで水揚げし、各コースに分けお花を束ね、 バケツに入れて配達、お留守時は水が入ったビニールで根元をゴムで縛り所定の場所に置く、そのように取り決めをして配達しました。 中古で購入した軽トラックと自家用車を使い、二手に分けて市内を走り回る日々が始まりました。が、カーナビが無い時代、地図を見ながらの配達は思った以上に苦戦しました。時にはお客様のお家に辿り着かず、半泣き状態で探し回った事もありました。

注文してくれたお客様に、直接お花を手渡した時に喜んで頂く笑顔や会話、又、徐々に定期便だけでなく、一緒にプレゼントに渡すお花、 発表会や展示会のお花等を追加注文頂ける事も多くなってきました。

5. 夫婦で生花店開業へ

 
お花の定期便の配達を2年程続けていたある日、不動産屋で働く友人から、 「5坪ほどのお店が新しい物件であるよ。お花の配達だけでは勿体無いからお店をしながら配達もしたら? 一度見てみたら?」 と電話があり、物件を見に行くことに。
自宅から車で20分ほどのその物件は、小さいけれど、商店街の端の角地、 人通りもあり、話を進めてもらうことにしました。

家族、親戚、祖母の協力、応援もあり (お金の面で^^;) 一からの店づくり。 流し台を中古業者で探し、フラワーキーパーのレンタル等、 オープンした時は感無量でした。

“地元の人から愛される花屋に” をモットーに街の小さな花屋さん、

【Flower Palette フラワーパレット】が開店しました。

1998.12
花屋前にて、私・夫・母

花屋で商売するにあたっては、花屋時代に培った技術と接客、サラリーマン時代に培ったパソコン、 など経験を生かし、定期便の配達も花屋と並行して続けました。
10年間頑張ってきたお店を閉店した理由は、第一に○ は体の事でした。
毎日閉店後に30種類はあるバケツの水替え、外に置いていた植木や花苗の出し入れ、週に4、5日は仕入れの為、早朝に市場で仕入れ、
閉店後に飲食店やスナックなどのお祝い花の配達、 生け込みなどで帰宅も遅く、睡眠時間が取れない日々が続きました。

イベント (母の日・お盆・お正月) 時には、準備や注文、配達で徹夜する事も多く、年に数回ギックリ腰になったりしました。整骨院の先生からは「60 歳ぐらいの腰だよ、今、治さないと歳取ったら歩けなくなるよ。」と言われてしまい、当時38歳だった私はショックを受けたのでした。
閉店した理由、第二は近くのスーパーがお花に力を入れ出した事、近くにお花屋さんが2軒できた事もあり、売上が落ちたこともその理由でした。
ご贔屓にしてくれたお客様、お店のオーナー様に恵まれた事は感謝してもしきれない程、又、お花の定期便を長く続けて頂いたお客様にも心より感謝し、皆さんに本当にお世話になりました。
忙しく辛い事もありましたが、今でも楽しかった生花店の日々が鮮やかに甦る時があります。

 

6. 生花店を閉店後、ふたたびサラリーマンへ

 
閉店後は、夫婦共に年齢的には厳しかったけれど、何社も面接に行き、 何とかサラリーマンに戻れたのでした。
休日には各地に四季のお花を見に行ったり、自宅のベランダでは趣味として花鉢を育て、平穏な暮らしを楽しんでいました。
ある日の深夜、夫の呻き声で飛び起きました。
「胸が痛い」と、うずくまり脂汗でびっしょりの背中に愕然とし、 すぐに救急車を呼び、大きな病院に運ばれました。
ICUに入ったまま夜が明けてきて、緊急事態になった、どうしようと待合室で震えが止まりませんでした。

早朝に先生から告げられた病名は 「大動脈瘤解離」でした。
心臓に向かう一番太い血管に血栓ができ、止まっていたから血管が破裂せずに、即死は免れた、と先生から言われました。

2週間近くICUに、2ヶ月程入院した夫は別人のように痩せて、筋肉が落ち、歩く事もままならない状態でした。
私は看病の為、営業職の会社を辞めて、夫も後少しで定年でしたが、 早期退職をしました。退院後はゆっくり散歩に行ったりできるまでになり、少しずつ体力が戻ってきました。半年後、普通の生活に戻りつつあったので、私も何とか働き口を見つけ、営業事務として働きました。
病院に月に1回通院しながらも、旅行や時にはゴルフにも行ける程にもなってきたので、見守りつつ安堵していました。

その一年後の寒い冬の2月に、夫は帰らぬ人となってしまいました。
あまりに急な出来事、ショックで胸が張り裂けそうでした。
しばらくは仕事から帰ると毎晩泣き続けていました。
最愛の夫が突然居なくなり、私も一緒に居なくなりたい、と思った事もしばしばありました。
時間が経過し、家で泣き続けていても、もうどうしようもない、戻ってきて。 くれる訳ではない、日常は変わらないのに夫だけが居ない、という現実を受け入れるまで時間はかかりましたが、持ち前の明るさと、近くに住む両親や
姉家族、友人に助けられながら日々が過ぎ、もう12年になろうとしています。

7. アーティフィシャルフラワーとの出会い

 
休日に買い物に行ったある日、色取り取りのお花が沢山並んでいたお店を見つけ、わあ、綺麗!と入って近づくと、生花ではなく造花だと気が付きました。けれど、本物のお花みたい! 凄い! 今の造花ってこんなに美しいんだ!とびっくりして衝撃だった事を今でも覚えています。
私が「アーティフィシャルフラワー」という名の、造花に出会った瞬間でした。
その時は、普通に気に入ったお花を何種類か購入して、自宅で久しぶりに小さなバスケットにアレンジしてみました。
生花しか扱ってこなかった私にとって、初めての造花は、あまりにも

リアルで色合いも生花のように美しく、夢中になってアレンジメントを作りました。
画像を挿入し、視覚に訴えます。
当たり前のことだけれど、水がいらない、いつまでも綺麗なままのお花にすっかり魅了されていきました。

 

8. 起業・空間デザイナーへの道

 

時代はコロナ禍に突入、会社も交代勤務や自宅ワークが増え、そんな時にInstagramで出会ったSNSの先生とzoomでやり取りする事になりました。
「今の時代、仕事だけではなく何か自分にしかできない事を始める方が増えていますよ」
という言葉が何となく心に残りました。
私自身は定年後にお花を教えたり、何かお花の仕事に携わりたいと思っていたけれど、この年齢で何か始められますか? とお聞きした答えは、 何か新しいことにチャレンジする方は50代の女性が多いんですよ、と。

そんな助言もあり、猛勉強し、副業でオンラインショップ、 BASE SHOPを立ち上げる事になりました。
アーティフィシャルフラワーでアレンジメントや花束を作って販売を始めました。
が、もちろんどこの誰かもわからない無名ショップの私から購入してくれるのは、友人や知人のみでした。
当たり前の事ですが、自分の作品にいくら自信や愛着があっても、 すぐに売れる訳ではないのです。
写真の撮り方、SNSのやり方などを一から教わりました。
仕事をしながら、初めてのSNSの勉強は、zoomで指導を受けても心が折れそうになる時もあり、もう、私には無理だー!!と諦めかけた事も何度もありました。

時間はかなりかかりましたが、SNSも楽しみながらできるまでになってきていました。
50歳を過ぎた頃、 人生は一度きりだ! 好きな事を仕事にしよう! したい!と勤めていた会社を思い切って退職、アーティフィシャルフラワーで起業しました。
夫の突然の死も大きく影響していると思います。
腹をくくって起業したからには、自分の力で前に進まないと!とオフィスや店舗を装花でデザインしたい、手がかからない装花でオーナー様の応援、集客に繋がる仕事がしたい!
「空間装花デザイナー」の講座を受講しました。

 

 

友人や家族には、え?今から資格取るの? と言われました。 同時に、講座代金や若い方と共にやっていけるのか不安で、迷いました。 それでも私はチャレンジしたかったのです。

フラワーアレンジメントだけではなく、壁や天井の空間を使って装飾する技術を学ぶことは大変だったけれど、世界が広がりました。

講座の先生や仲間達にも恵まれ、念願だった 【空間装花デザイナー】 の資格を取得、現在に至ります。
今後は、天井や壁の空きスペースを利用してお花を飾って頂くご提案などもしていきたいと思っております。
50代からの起業ですが、又、大好きなお花に関わる事ができ感謝しています。
そして、小さな装飾雑貨のお店をもつこと! 夢に向かって頑張っていきたいです。

「お花のパワーで毎日を元気に!」 応援してくださいね!

 

 

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